<向日葵と、バルト三国+ヘルシンキの旅について>
今回の作品は「ひまわり畑」”Girasole” 。
イタリアの向日葵をイメージした小品、鎌倉の個展に描き下ろした作品です。(F4サイズ)
個展も終わり、旅行記に戻るにあたり、今思うところを。
今の旅行記はバルト三国の旅の途中。原稿を準備した後で、このような事態になりました。
2019年夏の旅では、ソ連からの抑圧の歴史を垣間見ました。
自由になった喜び、美しさを感じると共に、町にロシア語表記や文化が溢れている事への違和感。
常に「ロシアの影」があり、それを不気味に感じました。
数日間の駆け足の旅。何も理解しておらず、想像するしかなかったけれど。
「バルトから見た歴史だけを知るのではなく、客観的にもっと勉強して再訪しなければ。」
そう思いながら帰国しました。
今の平和をひっそりと謳歌している町々を歩き、共感せざるを得ない部分が多かったのですが。
平和な世の中になって本当に良かった、と思いながら、何処か紙一重で危ういものも感じました。
数日間の駆け足の旅。何も理解しておらず、想像するしかなかったけれど。
「バルトから見た歴史だけを知るのではなく、客観的にもっと勉強して再訪しなければ。」
そう思いながら帰国しました。
今の平和をひっそりと謳歌している町々を歩き、共感せざるを得ない部分が多かったのですが。
平和な世の中になって本当に良かった、と思いながら、何処か紙一重で危ういものも感じました。
本当に色々と考えた、今までにない旅でした。
あの時に出会った人々は、今何を思っているのでしょう?
人にはそれぞれの信念と思いがあります。誰が悪いのでもありません。
なのになぜ、人はこのように争うのでしょうか?一日も早く、こういう事態は止めて欲しい。
私が旅行記に書いている2019年夏、平和に穏やかに見え、瑞々しかったバルトの国々。
それはきっと、危うい基盤の上に成り立っていたのだろうけれど。
世界にあの平和と美しさが戻る事を祈って、当時のバルトの旅行記をそのまま続ける事にします。
なのになぜ、人はこのように争うのでしょうか?一日も早く、こういう事態は止めて欲しい。
私が旅行記に書いている2019年夏、平和に穏やかに見え、瑞々しかったバルトの国々。
それはきっと、危うい基盤の上に成り立っていたのだろうけれど。
世界にあの平和と美しさが戻る事を祈って、当時のバルトの旅行記をそのまま続ける事にします。